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2004年2月~

2007年8月16日 産経抄より
 九段坂を上ると蝉時雨が靖国の杜から降ってきた。神社の右奥にある遊就館前までたどると、インド人判事の顕彰碑に出た。東京裁判でただ一人、「全員無罪」を主張したパール判事を称える石碑だ。
 パール判事は親日家である前に厳格な法律家だった。「戦争の勝敗は腕力の強弱であり、正義とは関係ない」と裁判の不当性を突いた。勝者の裁きを断行する米英蘭露にはいやな存在だったに違いない。戦争の残虐性を批判し、平和に対する罪など事後につくった法律で裁くべきではないと批判した。
 靖国神社の向かいにあるそのインド大使館では、午前8時半に国旗が高々と掲げられた。15日は終戦記念日だが、インドにとっては昭和22年のこの日が独立記念日になる。インドの人々にとり、独立の英雄は国民会議派議長のチャンドラ・ボースである。
 近く訪印する安倍首相はパールの長男、ボースの子孫と現地で会談するという。中韓は首相の靖国参拝に文句をいってきたが、同じアジアでもインドはいわない。この訪印を機に、日本は高速貨物鉄道に円借款を供与することにした。対中国よりもよっぽど感謝されるだろう。
 手元に戦前から日印をつなぐセピア色の写真がある。昭和18年11月に開催された大東亜会議の模様が撮影されている。東条首相の右側人目がボースの晴れ姿だ。会議の開催に奔走したのが、東京裁判でA級戦犯として禁固刑を受けた重光葵外相だった。
 この時点から戦争の目的は「アジア解放戦争」の大義名分に変わる。重光没後50年の今年、遺族が日米文化の研究者を対象に「重光葵賞」を創設するという。受賞者の一人が、パール、ボース、重光という3者の活躍を描いてきた作家の深田祐介氏だ。



2006年8月15日 小泉総理の靖国参拝
 これで、中国は「靖国カード」が使えないということが分かったでしょ。結局、中国の参拝反対キャンペーンは、日本人の贖罪意識を強めるどころか、反中感情を高めることになったんだから。
 韓国はと言うと、いつもと同じトーンで非難声明を発表して、「過去を心から反省し謝罪を態度で示すべきだ」とのこと。ところが、北朝鮮に対しては、ミサイル問題などを棚上げして、「(戦争や拉致など)過去は許し、共に平和と繁栄の道を歩くべき」らしい。・・・相変わらず爆笑公式コメントの連発、レベルの低さを露呈してるね(笑)

 A級戦犯合祀問題が騒がれてるけど、東京裁判って戦勝国によるリンチ裁判でしょ。「誰に戦争責任があるか」という国内論議はともかく、「戦犯」という位置づけは戦勝国が一方的に決めたことでしょうが。非戦闘員である一般国民を殺した原爆投下の関係者も同じように裁かれたのであれば、公平な裁判として結果を受け入れるけど、全然違うじゃない。「原爆は戦争を終わらせるために必要だった」と、正当化だけでなく賛美すらされている。戦勝国は何をやっても結果オーライ、敗戦国には有無を言わせずめった斬り。それが公正?
 歴史は常に勝者によって書かれると言うけど、21世紀にそれはもう通用しなくなりつつある。日本人による徹底した「東京裁判再検証」が必要なんじゃないのかなぁ。
 それと、随分前のブログにも書いたけど、政教分離で騒ぐ人達、何で元旦の伊勢神宮参拝には黙ってるわけ? 思いっきり神道形式で参ってるよ? 言ってることに一貫性がないんよね~。

<覚書>
首相一問一答。

「どのような気持ちで参拝したのか」

 過去の戦争を反省しつつ、二度と戦争を起こしてはならないと。今日の日本の平和と繁栄は現在生きている人だけで成り立っているのではない。戦争で尊い命を犠牲にされた方々の上に今の日本がある。戦争で祖国、家族のため命を投げ出さなければならなかった犠牲者に、心から敬意の念をもって参拝している。その気持ちは変わらない。過去5年間の私の靖国神社参拝に対する批判は3点に要約される。
 1つは中国・韓国が不愉快で反発しているからやめろという意見。私は日中・日韓友好論者だ。就任以来、中国や韓国との友好交流の拡大を続けている。どの国とも1つや2つの意見の違い、対立はある。不愉快なことがあると、首脳会談を行わないことがいいのか。私は「いつでも首脳会談を行う用意がある」と言っている。靖国神社を参拝しなければ首脳会談を行う、するならば首脳会談を行わないというのが、はたしていいのか。よくない。日本の首相は民主的な手続きによって選ばれている。私は今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても「未来志向で友好を図っていこう」ということを表明してきた。
 私を批判する方は「中国の嫌がっていることはやるな」という。「中韓が日本の国連安保理常任理事国入りに反対していることは不愉快だ」として、私が「中国、韓国と首脳会談を行わない」と言ったら、どちらを批判するだろう。私は中、韓が反対しても「首脳会談をすぐに行おう」と言っている。私が拒否しているのではない。
 「中国に不快な思いをさせてはいけない。中国、韓国のいうことを聞きなさい。そうすればアジア外交はうまくいく」。必ずしもそうではない。どの国も意見の違いを乗り越え、未来志向で友好関係を進展させていくのが日本としても、他国としても大事ではないか。中には「ブッシュ大統領が靖国参拝するなといえば、しないだろう」と。そんなことはない。ブッシュ大統領が「靖国参拝するな」と私に言ったとしても、私は行く。大統領はそんな大人げないことは言わない
 もうひとつはA級戦犯が合祀されているから行ってはいけないという議論。私は特定の人に対し参拝しているのではない。この戦争で苦しい思いをされ、できれば避けたかった、戦争に行きたくなかった、多くの兵士がいる。そういう犠牲者に対し、心から哀悼の念を表すべきだ。これは日本の文化ではないか。
 3点目は「憲法違反だから靖国神社を参拝しちゃいかん」という人がいる。憲法第19条、20条をよく読んでもらいたい。私は神道を奨励するために靖国神社に行っているのではない。過去の戦争を美化、正当化したりするために行っているのではない。また軍国主義を称揚するような気持ちで行っているのではない。第19条の思想および良心の自由はこれを侵してはならないとある。まさに心の問題だ。日本の首脳が、日本の施設にお参りすることを「小泉がいかん」と批判する。これが本当にいいことなのか。

「なぜ8月15日を選んだのか」

 最初、多くの方々が「8月15日だけはやめてくれ」と言っていた。そういう方々の意見も聞き、あえて15日を避けて参拝してきた。しかし8月15日を避けても、いつも批判や反発が起きる。何とかこの問題を取り上げようとする勢力(がいる)。いつ行っても同じだ。今日が適切な日だと判断した。



2004年7月28日 重慶の蹴球観戦客よ、恥ずかしくないか?(7月30日追記)
 サッカーアジアカップが行われている、中国の重慶。この国際映像を見て、眉根をひそめた人は少なくないだろう。
 日本戦に、何故か大量の中国人。前後に中国戦があった日もあるだろうが、初日から妙だと思ってはいた。
 試合開始前、日本国歌が流れた時に「なんだぁ!?」。大ブーイング、もしくは声を上げての大騒ぎ。君が代吹奏の邪魔に徹し出したのだ。そして相手チームの国歌には、拍手と沈黙。
 ・・・あのさ、反日に燃える韓国でさえ、国際試合では国歌の時にブーイングなんぞしなくなってんだよ。重慶が日中戦争で空爆の被害を受けた歴史はあるが、サッカー選手があんたらに何をした? 日本人サポーターに物を投げつける輩もいたそうだが、彼等が何をした? あんたら、その選手やサポーターの納めてる税金から捻出されるODAを受けてるんだろ!? まぁ、それに対して謝意もないんだから、呆れた国だけど。こういう国際感覚のない、田舎者のような態度が世界に流されてるんだよ? 恥ずかしくない?
 さて、今日のイラン戦。案の定、君が代の時に大騒ぎ。イラン国歌で拍手が起こった時、実況が
「中東の国はサッカーが強いので、イランは1、2を争う人気なんですね」
と、何とも苦しい解説をしていた。純粋なイランファンなんぞ、果して何人いることやら。観客席はイランの小旗を振る中国人で溢れていたが、地元企業が送り込んだ連中という噂だ。
 試合が始まっても、イランが日本のゴール前に攻め込むと大喝采で、日本がボールをキープするとブーイング。 元々チェックの激しいイランだが、中村や加地がファウルを受けて倒れこみ、ピッチの外にタンカで出された。それに対して大拍手である。幸い、2人とも戻れたが、その時の観客の無反応なこと。勿論、日本選手のイエローカードには大喜びで、イランのイエローカードにはブーイングである。審判がまともなのが救いだった(変な審判がいるからね)。
 非常識なのは観客だけではない。国際映像を製作し流している放送局が、加地の受けた酷いスライディングのファウルをカットし、流さなかったのだ。最低極まりない。
 こんな国際感覚の欠如した国で五輪? 重慶と北京は違う? どうだろ? 国際感覚を身につけている中国人は、ハラハラし通しになると思うけど。メディアも反日感情を煽るとして、アジア杯日本戦のテレビ中継を中止したそうだけど、五輪でもそうするわけ?
 嫌いな国なら無視しろ。見に来てくれなくて結構。ソウル五輪のように、強烈な偏狭ナショナリズムぶりを国際映像で流されて、結果的に大恥をかく羽目になりたくなかったら、2008年までにもっと大人になりなさい。
 ソウル五輪で思い出したけど、韓国人が反日を剥き出しにしたあの祭典で使われた施設、日本がかなりの援助金と技術を拠出したらしい。プール施設なんぞ、日本が建てた状態だという。韓国人が、それを知ってるかどうか定かではないが。知っていれば貸しがあるというので、もうちょっとマシな態度だったか。
 北京五輪の施設は、どうぞ国家予算で建てておくれ。嫌われ者の日本は、お金も技術も提供しないから。あ、ODAが費用に回されるかも。大体、五輪開催できるほどの国が、何でODAが必要なのかね? 理解不能。

 7月30日の産経新聞朝刊によると、中国政府系紙がトップ扱いで、観客の反日行為を批判したらしい。国歌吹奏の際に起立しなかったりブーイングする姿勢に対し、
「この種の『愛国』に誰も喝采しない」と断罪した。他にも、
「スポーツの場で政治と愛国感情をぶちまけるのは怖いことではないか」
「(中継中止について)異常だ。日本はサッカー弱小国ではない。中継しなかった理由を皆はよく考えるべきだ」
「我々には北京五輪が待ち受けていることを忘れるな」
「行き過ぎた民族感情の中で、中国のサポーターは報復的快感を見出した。しかし、尊敬されるスポーツ精神を失った」
 私の揚げた日本人に対する行為以外にも、「日本びいき」の中国人を会場から追い出すなどの行為もあったらしい。重慶市民を含め、国際マナーの未熟な人間は、この共産紙の記事を熟読し、猛省すべきである。



2004年5月5日 米紙におけるイラク人質事件の偏向報道
 イラクで日本人三人が人質になった事件の救出費用について、彼らへ請求すべきか否かで世論が割れている。そんな中、ニューヨーク・タイムズが批判記事を掲載した。
「日本国民が彼らやその家族を非難するのは、お上にたてついてはならないという伝統があるからだ」といった内容のものである。
 私が触れたいのは、請求問題の是非ではなく、このタイムズ紙の取り上げ方だ。
 この記事を読んだアメリカ人は、「あれがアメリカ人だったら、ヒーローだよ」と言っていた。ある男性は、人質女性の航空運賃分を大使館に小切手で送り(返送されたが)、国内でカンパ運動も始めるという。
 ちょっと待て。あの記事は、かなり偏向していなかったか?
「彼らが日本で非難される理由は、渡航自粛勧告を無視してイラク入りしたことだ」
「日本という国は、政府に逆らってまで個人の意思や目標を追求することは許されない」
「大企業の社員だけが尊敬され、NGOやフリーの人間は低く見られる」
タイムズ紙の記者は、こう論じている。何を根拠に? 的外れもいいところだ。多くの日本国民が人質になった彼らを非難したのは、このような単純な理由ではない。
 先ず、人質の家族が犯人ではなく、日本政府を激しく糾弾したこと。自衛隊を撤退させろと金切り声を揚げている映像は、誰の記憶にもよく残っている。その一方で、政府に救出の責任があるとして、おかしな依存をみせたこと。これが世論の怒りを買ったのだ。
 タイムズ紙には、この家族が某政党とかなり深く結び付いていることや、人質になった彼ら自身、今回のイラクに対する政策に反対の立場だったことは、一切触れられていない。これらを知る人々の間では、「あの拘束劇はヤラセではないか?」という話も出ていたほどだ。
 京都大学の中西寛教授は、こう論じている。
「普段は反政府を標榜し、政府とは無縁に生きていくことを良しとする人々が、問題が生じた時に権力万能主義、すなわち権力がその気になれば何でもできるかのように責任を政府に押し付ける姿勢を見せる」
正にその通りである。非難の根幹は、「お上にたてついたから」などという馬鹿げた理由ではないのだ。
 このような偏向記事を掲載するのは、何か意図があるのか? それとも、この記者は素人の投書にも劣るレベルの低さなのか?
 勿論、国に忠誠を誓っているアメリカ人であろうと、反政府に燃える日本人であろうと、命の尊さに変わりはない。だからこそ、日本政府は水面下で様々な手をつくしたのだ。
 解放のニュースが流れた時、彼らの言動を非難していた人も手放しで喜んだが、反して、家族が誰も政府に感謝の意を表さなかった。後になって慌てて謝意を述べていたが、無事に済んだらもう知らん顔はないだろう。また、人質になった一人が、すぐにイラクに戻るというコメントを出した。この態度がまた非難の対象になったのだ。
 まだ彼らが拘束されていた間、人質女性の弟妹がカメラの前で怒号を繰り返していた。母親がその感情剥き出しの子供達の態度を世間に詫び、涙を流していたのは全くもって気の毒だった。同時に、こうして騒ぎの中でもぎりぎり冷静でいられる家族がいることに、ホッとしたのだった。



2004年2月20日 中国の日本人死刑判決
 中国で、日本人男性が麻薬密輸罪で執行猶予無しの死刑判決を受けた。日本政府が中国政府に減刑の可能性を非公式に打診したが、
「日中の政治的関係が良好なら考えようがあるが、現状では特別な事はできない」
と拒否したそうだ。日本人に甘いと受け止められるような判決はできないとか。
 何をいわんや、である。
 確かに、麻薬密輸は罪だ。やったことに対して言い訳はできないし、その国の刑法で裁かれるのも当然だ。しかし、小泉首相の靖国神社参拝に怒り心頭の中国が、死刑判決を政治カードとして利用しているのは、返答内容で明らか。呆れてものが言えない。全く別次元の問題ではないか。
 以前、日本人留学生が中国人を侮辱する寸劇をしたとして、暴動や日本製品不買運動が起きた。では、日本に滞在する中国人は、みんな品行方正なのか? 以前は逮捕される在日と言えば韓国人だったが、今は中国人が検挙数トップだ。ピッキングなどの窃盗や強盗は当たり前。殺人にいたっては、福岡の一家四人殺害を見ての通り、その殺害方法といい、子供まで平気で手にかけるやり方といい、あまりの残虐さに鳥肌が立つ。中国政府は、この現状を知っているのか? そして、日本がこの犯人に死刑を求刑した場合(常識なら間違いなく死刑)、中国政府からの減刑嘆願を今回の拒否を理由に、同じ様に拒否しても文句は言わないのだな?
 アジアには、第二次大戦の禍根をいまだに引き合いに出し、日本を跪かせることに執着する、未熟な国(政治家)が多い。ところが、災害や経済危機などに直面すると、恥も外聞もなく支援を要求してくる。プライドがあるなら、日本からの支援は申し出られても断る気概を持て。中国のODA問題にいたっては、考えるだけでも腹が立つ。市民レベルでの交流はよくあるが、相手国が大人にならない限り、国同士の友好関係など築けるわけがない。今回の中国側の反応も、それが犯罪者とはいえ命を政治カードに使うなど、人質をとって要求を通そうとする悪人と同レベルではないか。最低である。



2004年2月18日 同性愛者の婚姻届
 アメリカのマサチューセッツ州で、同性愛者に結婚証明書が発行されるとの事で、全米からカップルが殺到したという。インタビューに応じたカップルの中には、感涙にむせぶ女性がいて、恋人は「今は泣かせてあげて」と言っていた。お年寄りの女性カップルは「もう25年も一緒にいるのよ」と、満面の笑みで答えていた。
 道行く人は「いいんじゃない?」という肯定派もいれば、「絶対認めるべきではない」という否定派もいて、意見が分かれるのも至極当然の事だろう。
 このニュースを見て、ふと思ったのだ。
 「子孫を残す」という点でいえば、女と男のカップルでなければならないだろう。しかし、その人間性に惚れこんだ場合、一緒にいて安らぐとか、生きる気力を与えられる場合、性別なんか関係なくなるんじゃないか、と。勿論、「他人事だから言えるんだ」と言われれば、それまでなんだが・・・。






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